オアフ島の西を目指してFarrington Hwyを走ると、やがて家を見なくなります。海岸線に道路だけが続いていて、何を探しにドライブしているかわからなくなるのです。
途中、Kaneanaという洞窟があります。ハワイアンの昔話に登場するような場所で、サメ男の伝説があります。伝説の内容はようわからん感じなので解説しませんが、ハワイアンしかいない時代から、親しまれていた場所なのです。ちなみに、この洞窟に女性は入ってはいけないとか、いろんな制約があったみたいです。
ハワイアンは文字を持っていなかったので、歴史は語り継がれています。語り継がれるうちに脚色され、童話のように変わっていきます。ワケが分からない昔話に聞こえることがありますが、中にはきっと伝えるべきことが隠されているのでしょう。
さらに西へ行くと、広い自然な大地が現れます。アメリカ軍の演習地だそうですが、わたくしは、実際に軍人の姿を見たことはありません。
そして、Farrington Hwyの終点に到着します。そこにあるのはKeawaula Beachという名前の真っ白なビーチ。が、ローカルにはYokohama Bayと呼ばれています。
日本から初めての労働者移民がやってきたのは1868年です。が、その契約をハワイ王国と結んだのは江戸幕府でした。江戸幕府とともにその契約は消えましたが、カラカウア王が日本へやってきて、明治政府と契約が結ばれました。
1885年、再び日本人が移民としてハワイへやってくるようになりました。根がまじめな日本人は、サトウキビ農場に気に入られ、どんどん受け入れられ、人口比率が増えていきました。
その日本人労働者が、休みの日にここまでやってきて、祖国を思いながら釣りを楽しんでいた、と言われています。ヨコハマベイと言われるようになったのはそれからだと。
他にもいろんな説があるそうですが、とにかく日本人労働者が関係しています。
サトウキビ農場はオアフ島の西から北につくられていました。ダウンタウンから出発するサトウキビ列車は、オアフ島最西端のカエナポイントを廻ってからノースショアを目指していました。日本とアメリカが戦争するずっと前から、戦後しばらくまで走っていました。終点はオアフ島最北端のカフクでした。
今からは想像できませんが、このヨコハマベイにも駅があったそうです。歴史を思いながら眺めると、風景も違って見えます。

- 村上智洋xへなしゅん
- カンボジア、ベトナム、グアムなどH.I.S.の海外支店を渡り歩き、2017年3月にハワイ着任した男、村上智洋。各国での生活や体験は子どもにとっても貴重な機会ととらえ、その場所の空気や様子を直に感じ取ってくれることを願いながら、週末ごとに「プチ探検の旅」に出かける日々。8歳と6歳の息子ふたりと新たなハワイを発見すべく、子どもにも安全に楽しめる「もう少しハワイを知る」散策を続けている。 このことを聞きつけたへなしゅんが、その場所をへなしゅん的に紹介することで、村上以外のハワイ好きが【もう少しハワイを知る】手助けになれば、と乗り出して連載スタート。編集部員にヤイヤイ言われながら、書き綴っている。