2019.10.09|オアフ島

もう少しハワイを知ってみる

もう少しハワイを知ってみる*ヨコハマという名前がついたビーチ

遊ぶ/体験する
  • Yokohama Bayの手前には、Kane Ana と名付けられた洞窟があります。
  • ナナウエというサメの神さまが住んでいるそうです。
  • 近くには、アメリカ軍の歩兵と砲兵の射程練習場として使われているエリアもあります。
  • オアフ島の西を通るルート93の終点にYokomhama Bayと名付けられたビーチがあります。
  • 現在の状況からは想像できませんが、かつてここにはサトウキビ列車の駅がありました。橋台の跡が残っています。
  • Keawaula Beachという名前がついていて、Yokohama Bayというのは通称です。
  • オアフ島の西をサトウキビ列車が走っていた頃、ここには駅があったそうです。
  • ヨコハマベイに近くなればなるほど、人の気配は消え、静かになっていきます。

オアフ島の西を目指してFarrington Hwyを走ると、やがて家を見なくなります。海岸線に道路だけが続いていて、何を探しにドライブしているかわからなくなるのです。

途中、Kaneanaという洞窟があります。ハワイアンの昔話に登場するような場所で、サメ男の伝説があります。伝説の内容はようわからん感じなので解説しませんが、ハワイアンしかいない時代から、親しまれていた場所なのです。ちなみに、この洞窟に女性は入ってはいけないとか、いろんな制約があったみたいです。

ハワイアンは文字を持っていなかったので、歴史は語り継がれています。語り継がれるうちに脚色され、童話のように変わっていきます。ワケが分からない昔話に聞こえることがありますが、中にはきっと伝えるべきことが隠されているのでしょう。

さらに西へ行くと、広い自然な大地が現れます。アメリカ軍の演習地だそうですが、わたくしは、実際に軍人の姿を見たことはありません。

そして、Farrington Hwyの終点に到着します。そこにあるのはKeawaula Beachという名前の真っ白なビーチ。が、ローカルにはYokohama Bayと呼ばれています。

日本から初めての労働者移民がやってきたのは1868年です。が、その契約をハワイ王国と結んだのは江戸幕府でした。江戸幕府とともにその契約は消えましたが、カラカウア王が日本へやってきて、明治政府と契約が結ばれました。

1885年、再び日本人が移民としてハワイへやってくるようになりました。根がまじめな日本人は、サトウキビ農場に気に入られ、どんどん受け入れられ、人口比率が増えていきました。

その日本人労働者が、休みの日にここまでやってきて、祖国を思いながら釣りを楽しんでいた、と言われています。ヨコハマベイと言われるようになったのはそれからだと。

他にもいろんな説があるそうですが、とにかく日本人労働者が関係しています。

サトウキビ農場はオアフ島の西から北につくられていました。ダウンタウンから出発するサトウキビ列車は、オアフ島最西端のカエナポイントを廻ってからノースショアを目指していました。日本とアメリカが戦争するずっと前から、戦後しばらくまで走っていました。終点はオアフ島最北端のカフクでした。

今からは想像できませんが、このヨコハマベイにも駅があったそうです。歴史を思いながら眺めると、風景も違って見えます。

村上智洋xへなしゅん
カンボジア、ベトナム、グアムなどH.I.S.の海外支店を渡り歩き、2017年3月にハワイ着任した男、村上智洋。各国での生活や体験は子どもにとっても貴重な機会ととらえ、その場所の空気や様子を直に感じ取ってくれることを願いながら、週末ごとに「プチ探検の旅」に出かける日々。8歳と6歳の息子ふたりと新たなハワイを発見すべく、子どもにも安全に楽しめる「もう少しハワイを知る」散策を続けている。 このことを聞きつけたへなしゅんが、その場所をへなしゅん的に紹介することで、村上以外のハワイ好きが【もう少しハワイを知る】手助けになれば、と乗り出して連載スタート。編集部員にヤイヤイ言われながら、書き綴っている。

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