この古いモノクロ写真に写る少女は、あの美空ひばりさん。逝去後、32年が経ち、往年のご活躍を直に知らない世代も増えてきているかもしれませんが、誰もがどこかで一度は歌声を耳にしたことがある、昭和の大スターさんなのです。
そんな少女がハワイにやってきたのは、終戦わずか5年後の1950年、日本人の海外渡航は全面禁止されていた時代です。12歳の日本の大スターは、第二次世界大戦中に日系人で編成され、数々の戦績と功績を残した第100歩兵大隊の招聘とバックアップを得て、はるばるハワイまでやってきたのでした。
戦争中は公に歌うことも聞くこともできなかった日本の歌は、日系人社会に深く根ざし、大切にされてきたことが垣間見えるエピソードです。戦中、戦後を生き抜く95歳のハワイ州三代め知事、ジョージ・アリヨシ氏のお気に入り曲は、反戦の歌ともいわれる「一本の鉛筆」だそうです。
ロイヤルハワイアンホテルでの記念写真や、ダウンタウンのカメハメハ大王像の観光の様子など、終戦後間もない当時のオアフ島の様子がわかる貴重な写真も残されています。
オアフ島・マウイ島・ハワイ島・カウアイ島で計12回も開かれたコンサートは大盛況で、その収益は、イオラニスクール側に今もある、第100歩兵大隊メモリアルホール建設に役立てられました。その後もハワイを愛したひばりさんは、1961年、69年、76年とコンサートを行い、プライベートでもスタッフや家族を連れてハワイを訪れられたそうです。
女性初の国民栄誉賞を受賞された美空ひばりさんのご命日にあたる6月24日に、33回忌法要とお墓参り、さらにご自宅の美空ひばり記念館から生中継と、今回のために特別編集された思い出のフィルムコンサートや、ゲストによる思い出トークなど、ひばりさんを身近に感じて、ご自宅から偲んでいただけるスペシャルな企画が開催されることになりました。東京近郊以外の方はもちろん、遠く離れた海外に住む美空ひばりファンの方々も参加できるオンライン・バーチャルでの開催です。
詳細と参加お申し込みは▲▼こちら▼▲から。故人を偲ぶお花が届いたり、記念の品々が届くプランも用意されています。当日は、東京タワーと横浜マリンタワーが、ひばりさんのイメージカラーの紫色に灯ることも決まっているそうです。お近くの方は6月24日に夜空を見上げてみてください。
<2021/06/04の情報です>
