2020.01.14|オアフ島

へなしゅん的ハワイ事典

へなしゅん的ハワイ事典 – シュガーケイン

ネイチャー

石油が見つかる前、西洋人たちは鯨の体液から油をとっていました。冬になると、ハワイ周辺には鯨がいっぱいやってきます。西洋社会の捕鯨船も集まってきて、ハワイはその拠点として活用されはじめ、港として栄えます。西洋人たちは、ハワイに定着し、いろんな産業を持ち込みはじめます。1835年に、カウアイ島でシュガーケインプランテーションが始まります。さとうきび畑です。広い畑でさとうきびを量産し、製糖工場で砂糖にするのです。

石油が見つかり、捕鯨の時代が終わろうとしている頃、西洋人たちはシュガーケインプランテーションを次々につくり始めます。最盛期には、カウアイ島、オアフ島、マウイ島、ハワイ島、合わせて100以上の製糖工場があったそうです。当時は、島の半分はさとうきび畑に覆われて緑色をしていたそうです。収穫したさとうきびを製糖工場に運ぶためのさとうきび列車が、その緑の中をゆっくり走っていきます。さとうきび列車の終点は製糖工場です。製糖工場は、できた砂糖を運ぶ船が発着しやすいよう海岸線に造られていることが多かったです。

日本とアメリカが戦争を始めてしまいますが、プランテーションはそのまま繁盛していきます。オアフ島のさとうきび列車は、第二次世界大戦の後、1947年まで走っていました。

やがて、ハワイは観光産業で潤いはじめ、シュガーケインプランテーションは消えていきます。へなしゅんがハワイへやってきた2000年には、カフクの製糖工場跡は残っていましたが、気がついたら無くなっていました。マウイ島にあった最後のプランテーションが幕を閉じたのは、2016年12月です。

へなしゅん
へなしゅん
福井県若狭地方生まれ。30歳を越えてからハワイ情報サイトの編集長としてハワイ入りし、ハワイ生活は20年超え。現在は日本で「ハワイ」を追い求める日々。WEBをやっているけれど、WEB技術は20年前レベル。英語も満足に話せないまま。ハワイ史が好きでいろいろ調べたけれど、ハワイの象徴・フラは未経験、ウクレレもハワイ語もすべて中途半端なレベルというダメなおっさん。でも、記事は細かく作っている(つもり)。

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