ハワイが捕鯨で賑わっていた1835年に、カウアイ島でシュガーケインプランテーションが始まります。石油が見つかり、捕鯨の時代が終わろうとしている頃、ハワイにはサトウキビ畑が次々につくられていました。
◼︎西洋人たちがシュガーケインプランテーションをどんどん造り始めます。
◼︎ハワイアンは労働者として使われます。
◼︎18世期末まで諸外国と接していなかったハワイアンは、免疫がありません。些細な病気で亡くなっていきます。
◼︎その労働力低下をなんとかするため、諸外国から移民を受け入れ始めます。
こうしていろんな国からの労働者が移民として集まりました。1851年、一番最初にやってきたのが中国からの移民でした。が、もともと商売好きな人々なので、契約期間が終わるとお店を始めたりしたそうで、プランテーションの労働力としてはあまり喜ばれませんでした。
1868年に日本からの移民もやってきます。これは、江戸幕府と契約した移民やったので、この後、しばらく移民はありません。カラカウアが明治政府と話して決めた官約移民がやってくるのは、1885年です。
日本からの移民は、まじめで働き者やったので気に入られたみたいです。他に多かったのは、フィリピン、ポルトガルからの移民です。ハワイといえば連想してしまう「ウクレレ」や「マラサダ」は、ポルトガル移民が持ってきたものです。
やがて、ハワイ王国はアメリカになっていきますが、この移民労働者たちは、アメリカ国民として吸収されていきます。
アメリカ50州のうち、ハワイは白人比率が少なく黄色人種の比率が高いと言われています。その背景にはサトウキビ畑が関係していたのです。

- へなしゅん
- 福井県若狭地方生まれ。30歳を越えてからハワイ情報サイトの編集長としてハワイ入りし、ハワイ生活は20年超え。現在は日本で「ハワイ」を追い求める日々。WEBをやっているけれど、WEB技術は20年前レベル。英語も満足に話せないまま。ハワイ史が好きでいろいろ調べたけれど、ハワイの象徴・フラは未経験、ウクレレもハワイ語もすべて中途半端なレベルというダメなおっさん。でも、記事は細かく作っている(つもり)。